『ほんとうのわたし』読んだ

ほんとうのわたし

「私である私」と「描かれた私」の違い。
話の筋や結果は全然違いますが、「或日の大石内蔵助」を思い出しました。

物語の構図は以下。

  • 自分への悪意による誤った情報が広まっている
  • それを間違いであると知らない第三者が、その情報に基づいて創作を行った
  • それにより、自分は非常に苦しい境遇に陥ってしまっている
  • 自分はその創作物を抹消することができる

その場合に、自分は創作物の抹消をするべきかそうでないか。

  • 作品を抹消すれば、自分の名誉が汚されることを防ぐことができる
  • 作品を抹消しなければ、創作者の創意を守ることができる

主人公は、歴史の修正が進んでいくことに期待して、創作物を守ることを選択。
自分を酷く描いている作品を受容する(自己犠牲)。

その後、真実に基づいて新たな作品が作られることで、既存の作品を抹消せずに名誉が回復される。
それにより、最終的に主人公は救済される。

虐げられた人間の、犠牲と救済の物語が、SF、歴史(偽史)、創作を題材にして描かれている。

創作無罪を主張している感じはしなかった。
あくまでも、主人公自身の選択として、創作物の保護を選んだ感じ。
主人公の創作物への愛が感じられました。

物語の構図が明らかになるポイントまで、少しずつ丁寧に情報が出されているところが良かった。
主人公の反応も丁寧に描かれていて、セリフも良いし、納得感がある。
主人公やオペレータ(?)が良識的な善人であるところも良かった。
絵も綺麗。

面白かったです。