『ほんとうのわたし』読んだ

ほんとうのわたし

「私である私」と「描かれた私」の違い。
話の筋や結果は全然違いますが、「或日の大石内蔵助」を思い出しました。

物語の構図は以下。

  • 自分への悪意による誤った情報が広まっている
  • それを間違いであると知らない第三者が、その情報に基づいて創作を行った
  • それにより、自分は非常に苦しい境遇に陥ってしまっている
  • 自分はその創作物を抹消することができる

その場合に、自分は創作物の抹消をするべきかそうでないか。

  • 作品を抹消すれば、自分の名誉が汚されることを防ぐことができる
  • 作品を抹消しなければ、創作者の創意を守ることができる

主人公は、歴史の修正が進んでいくことに期待して、創作物を守ることを選択。
自分を酷く描いている作品を受容する(自己犠牲)。

その後、真実に基づいて新たな作品が作られることで、既存の作品を抹消せずに名誉が回復される。
それにより、最終的に主人公は救済される。

虐げられた人間の、犠牲と救済の物語が、SF、歴史(偽史)、創作を題材にして描かれている。

創作無罪を主張している感じはしなかった。
あくまでも、主人公自身の選択として、創作物の保護を選んだ感じ。
主人公の創作物への愛が感じられました。

物語の構図が明らかになるポイントまで、少しずつ丁寧に情報が出されているところが良かった。
主人公の反応も丁寧に描かれていて、セリフも良いし、納得感がある。
主人公やオペレータ(?)が良識的な善人であるところも良かった。
絵も綺麗。

面白かったです。

シチューエッグが美味しい

フライパン半量くらいのシチューに溶き卵(卵 3 個分)を流し入れて温めると美味しい。

  1. シチューを用意する
  2. 卵 x3 をかき混ぜて溶き卵にする
  3. シチューを温める
  4. シチューの温度が、卵が固まるくらいに温まるのを待つ
  5. 溶き卵を流し入れる
  6. シチューはかき混ぜずに、卵が固まるのを待つ
  7. 卵が固まったら出来上がり

フワトロ系のオムライスにシチューをかけたものからご飯を抜いた感じの料理。

コツは、卵液はゆっくりと流し入れ、卵を入れたら鍋をかき混ぜないこと。
卵がシチューと混ざらずに、塊の状態になると卵の食感があって美味しい。

ホワイトシチューに鶏肉やブロッコリーを入れると美味しい。
ホワイトシチューの代わりにビーフシチューでも美味しい。
カレーでやっても美味しいと思う。

アルティマシュリ

ウィッチクラフトワークス』に登場するアルティマシュリはウルティマ・トゥーレ (Ultima Thule) のもじりなのかな。
ウルティマ・トゥーレ、アルティマ・スーリー、アルティマシュリ 。

ヒュペルボレオイが住んでいたりするのかな。

『北風の後ろの国』の冒頭を読んでいてちょっと気になりました。

At the Back of the North Wind by George MacDonald - Free Ebook

鉄腕バーディー DECODE:02 観た

面白かったけど、途中で息切れしてしまった印象。

ナタルの設定は良かった。

主人公の異性の幼馴染で、優しい性格の医療従事者。
基本的に善人。
実は命の恩人でもある。
出自は、能力の付与に失敗したと思われていたイクシオラ。
生後すぐに反政府グループにさらわれ、テロ事件に関わって、難民として地球に逃れてきた。
兵器実験に巻き込まれて、本来の能力である時間跳躍に覚醒。
犠牲になった親友や地球人のために復讐を実行する。

ダークヒーロー的な感じで良い。

途中からシナリオが行方不明になってしまったことが残念。

バーディーは、ナタルを見逃してしまった後、最終到達点が曖昧になってしまった。
本来であれば、捜査官としてナタルを逮捕して事件を収めるべき。
そして、そのチャンスはあった(宇宙船にナタルを収容した時に眠らせたままにすれば良かった)。
どうしてそうしなかったのか、捕まえないのであればどうしたかったのかが見えてこなかった。
ありがちな展開でよければ、自首することを訴えるなど出来たと思う。

ナタルの側も、モス・キリーをバーディーに奪われてから、何がしたいのかがよくわからなかった。
あそこでナタルがバーディーと戦って生命を奪う必然性がない。
イクシオラやそれを生んだ政府に対する恨みも、突然話に追加されたので、唐突感があった。
捜査官としてのバーディーを否定したとしても、個人としてのバーディーを否定する必要はない。
戦闘に執着してしまう自分を止めて欲しい感じであれば理解はできるけど、これまでナタルが戦ってきた理由ははっきりしているので、それに決着がついてしまえば元に戻れそう。
過去に戻って幼少のバーディーと自分自身を救出する展開も理由の説明がなかった。

主役級 2 人の着地点がないままエンディングを迎えてしまった感じ。

最終話の戦闘シーンは迫力があった。
ただ、線や形の歪みから、やはり仕上がってない印象がしてしまった。

『ダンジョン飯』7 巻読んだ

面白かった。

相変わらず絵が上手。
7 巻は全編丁寧で、描き込みも多く、クオリティが高くて良かった。

特に 69p 上段のエルフの集合絵。
ファンタジーっぽいというか、別世界感があるというか、常識を共有していない隔たりある存在的な感じが良い。

個人的に、『ダンジョン飯』と『とんがり帽子のアトリエ』は絵が綺麗なところが大きな魅力の一つ。
このまま続いて欲しい。

お話も面白かった。
ちゃんと毎話、食事に絡めたお話作りをしていてすごい。
ファンタジー縛り、ダンジョン縛り、モンスター縛りで、これだけのネタを思いつくのはすごい。
いわゆるウミガメのスープ的なお話も違和感なく自然にストーリーに取り込めているように思いました。

個人的に刺さったのは、イヅツミの好き嫌いの話。
「なんで好きなことをしない?(意訳)」
「嫌いなものを避けていたら目的にたどり着けないから(意訳)」

食事や役割分担に絡めた話にはなっていますが、内容的には「目標を達成するために必要であれば嫌なことも受け入れるか(プラクティカル)、それとも好きなことだけを選択して、ゴールへの道が険しくなることを受け入れるか」。
仕事でも創作でもスポーツでも、こだわりを持って目標に向かおうとしている人には共感できる話題だと思います。

加えて、演出も良かった。
現実時間でマルシルとイヅツミに対話をさせつつ、そこでは解決せずに、一旦別の話を挟んで、わだかまりを抱いていた食事の中での気づきから、イヅツミの回想の中でタデに「迷子にならないでね」と語らせるのは良い流れだなと思いました。

「(マルシルとの)対立 → (マルシルの丁寧な)説明 → (イヅツミの内心への)定着 → 時間経過・場面転換 → (食事の場での)自己体験 → (すでに受容済みの経験からの)自己抽出 → (対立案の)受容」という心の動かし方が自然でした。

人は説得ですぐに心が変わるわけではなく、自ら納得する体験が必要。

こういう風に展開が丁寧だと、読んだ時の納得感も大きいですね。

最終話のオチも良かった。
トロールになってしまうのでしょうか。
次巻が楽しみ。

補足

  • 剣に翼の飾りがついているのは第 2 話に描写がある
  • 翼のある獅子の壁装飾は第 4 話に登場している

作りたい と 作りたくない

作りたい と 作りたくない

作りたい

  • 欲しいもの、見たいものがある
  • ただ、誰もそれを作っていない
  • 自分で作ろう
  • こんなのがあったら最高

作りたくない

  • 欲しいもの、見たいものがある
  • ただ、誰もそれを作っていない
  • 自分で作るのは大変そうだ
  • 誰かが作ってくれたら最高

その違いは何か。

作りたくなるもの

  • 簡単に作れそうなもの。
  • 自分にアイデアがあるもの。
  • 作ることでより深く理解できるとき。
  • こだわりが強いもの。

作りたくないもの

  • 作るのが大変そうなもの
  • 自分が思いつかなかったようなアイデアを見せて欲しいとき
  • 自分で作ったら驚きが消えてしまいそうなもの
  • すでに似たようなものがあって、誰かが作ってくれそうなもの

作る力

作りたいものだけを作ろうとすると、作る力を培うのが難しい。
作るのが大変そうなものはずっと大変そうなまま。
なので、作りたくないものを避けて通るのも良くない。
作るための筋力作りが必要。

ただし、作りたくないものを作るのは気持ちの負荷が大きい。
作りたくないものばかりを作っていると、作ること自体が嫌になる。
なので、作りたいものを作ることが大事。
作りたい気持ちを育てることが必要。

作る工夫

作りたくないものを気落ちせずに作る工夫があるといい。
例えば、作る対象にフォーカスせずに、作業的に制作を進めることができれば、心理的負荷は小さい。
練習問題を解く感じのドリル式で。

教科書が市販されていて、練習問題がすぐに見つかるならそれでいい。
ない場合は、自分で課題を考える必要がある。

一番簡単な課題はすでにあるものを真似ることかな。
模写したり、同じ機能のものを自分で作ってみたり。

ただし、真似をすることも簡単ではない。
何を真似するのか考える必要がある。

自分のスキルと乖離した、難しいものは真似られない。
自分が嫌いなものを真似しても、モチベーションが続かない。
自分の目標に沿っていないものは真似しても意味がない。

好きで平易なものを普段からたくさん探しておく必要がある。
好きの間口が広ければ、見つけるのはより簡単になる。
たくさんの作品に触れていれば、好きなものを見つけられる機会も増える。

もし見つからなかったら、好きではないけど力になるものを受け入れることが必要。
嫌いの壁が低ければ、受け入れるのもより簡単になる。
たくさんの苦手を許容できれば、目標への距離を小さくすることができる。

良い先生や競争相手に恵まれるのはすごい幸運。
自分が知らない良いものをタイミングよく与えてくれる可能性がある。

現状

好きなものを好きなように作って良い感じに上達したい。
苦手なものはやっぱり苦手。
ひとりでコツコツやりたい。

上手くいってないのでなんとかしたい気持ちはある。
時間はあるけど、時間はない。
だらだらサボってしまう。。

『約束のネバーランド』観た

面白かった。
絵も綺麗で良かった。

重い話なので、観終わるまでに時間がかかってしまった。

個人的に、絶望系の設定は苦手。
作者のご都合をより強く感じてしまう。
登場人物を極端な苦境に立たせておけば、個人個人の動機や心情に関わらず、行動を起こすしかない。
そのため、とりあえずお話を始めることが可能。
最初から葛藤が用意されているので、ドラマを演出するのも容易。

約束のネバーランド』は、イザベラの絶対悪感と、エマの諦めない姿勢が良かった。
落ち着いたノーマンと、クセのあるレイの頭脳班も良かった。
ドンのキレ芸はない方が良かった。

ネタバレが怖いので、ネットの情報は一切入れずに観ていました。

以下、2 期を見るときのための 1 期の備忘録(ネタバレ)。

これから退場する人(クローネ、ノーマン、イザベラ)に時間を割いて丁寧に描いていたのは良かった。
クローネやイザベラは本編のストーリ上は悪役として描くことを徹底し、退場前の描写で悪役ではない姿を見せる手法は上手かった。
本編のストーリーで個別の心情を描いてしまうと、悪役として成立しなくなってしまう。
非道な悪役と、実体のある生きた人物像を両立させる良い描き方だと思いました。
クローネは長すぎるかなと思いましたが、その分の効果はあったと思います。
この作品で一番良かった点かも。

その副作用として、レイが退場しないということもわかってしまいましたが、そこは仕方のないところ。

ノーマンは生きてそうな感じがしますが、どうなのでしょう。
別室で待機になった後の詳細は不明ですし。
男親の必要性もあるので、生き残る道はありそう。
遺伝的な多様性のためにも、ある程度の人数を維持する必要がありそう。

最終話で明かされるレイとクローネの関係は意外性があって驚いた。

ドンの投石で脱出可能なのであれば、ある意味めっさ逃げ放題なのでは。。
レーダーの性能は低いみたいだし。
筋力がなくても、ボウガン的なものか、投石機が作成できれば脱出は可能。
敷地内に森があるので、ロープを用意する難易度は高くなさそう。
脱出してしまえば、森と川があるので、サバイブは可能そう。

逃げる必要性に気付けるかどうかが肝だと思いますが、高い塀に囲まれていて外に出られないというのは不自然。
外から手紙が来ないのも不自然。
少なくとも、塀に登ろうとする子はたくさんいたと思う。

フィルはずっと謎っぽい扱いでしたが、結局のところ聡いというだけだった。
現時点では、単に思わせぶりだっただけ。
話が進んで、フィルたちの救出作戦が描かれたら印象が変わるかもしれない。

全員脱出にこだわっていたのに、エマが折れたのはちょっと残念。
あとでまた取り戻しに来るという選択は現実的で正しい。
ただ、エマは最後まで誰も見捨てないキャラだと思ってた。
ちょっとキャラがぶれた印象。
「全員救う、どうやって?」というのが物語の推進力にもなっていたので、多少荒唐無稽でも全員救った方が筋は通ったと思う。

イザベラの目的意識や行動原理がよく分からなかった。
単純に利己的で自分の長生き優先なのかな。
『抵抗を諦めてしまった人』という位置付けだと思いますが、むしろこの仕組みの維持に積極的に協力しているような印象。
それだけ望みのない世界ということかもしれませんが、レジスタンス的な生き方もあったと思う。
まだ話に出ていないだけで、実は現状打破のために抵抗の準備を重ねていたとかであれば良いですが、そうであればエマたちに協力しなかった理由の説明がつかない。

本に暗号を忍ばせていたのはエンディングに登場した人なのかな。
今後の展開が気になる。

外側の世界で生きている人類はいそうですが、それが描かれるかどうかは未知数。